Interview with the Owner, Alex Henry Foster

ALEX HENRY FOSTERとのインタビュー

LA MAISON DE TANGERオーナー

La Maison de Tanger(ラ・メゾン・ド・タンジェ)は、何よりも人が集まって、分かち合える場所を目指しています。そこで、私たちはこのメゾンでの様々な出会いから、この街で働く職人、この街を輝かせるイベント、私たちのお気に入りの場所や、タンジェという街だけが秘める様々なサプライズから生まれた果実をご紹介するマガジン“Oasis”(オアシス)を始めることにしました。 

La Maison de Tangerの共同オーナーであるAlex Henry Foster & Jeff Beaulieuを数行で説明するのは難しいことですし、二人のポートレートを描くよりも、タンジェの街へ抱く情熱や人道主義者としての関わりについて、自らの言葉で話してもらった方が良いと思ったので、彼らにアポイントメントを取り、この2人のミュージシャン、クリエイター、実業家、スピーカー、作家、慈善家の視点を彼らの言葉で知ってもらうことにしました。

この最初のエディションでは、ニューヨークを訪問中だったAlex Henry Fosterとのインタビューをお送りします。

オーナーの紹介

こんにちは、Alex。今日は、お忙しいところ、“La Maison de Tanger”初のマガジン“Oasis”のために、インタビューに応じる時間を作っていただき、どうもありがとうございます。まずはご出身について教えて頂けますか?

Alex: 生まれはグリーンフィールドパークなんだけど、育ったのは主にケベック州モントリオールなんだ。カナダでもフランス語圏にある地域だよ。

子供の頃から旅行や音楽、冒険などを夢見ていましたか?

Alex:そうだね、僕は両親のユニークな影響を受けて育っていて、二人とも大の音楽好きだったんだ。あと、父は木彫りも趣味で、母は読書が好きだった。貧しい生活のせいで強いられた粗い日常から抜け出すのが、日々の戦いだったとしても、両親の愛のおかげで、僕は最も大きな富を得たよ。それこそ、無限に夢を見ることさ。だから、そうだね、子供の頃から色々と夢見ていた気がする。

他に大きな影響を受けた人たちなどはいますか?

Alex:もちろんさ。出会えて本当に良かったと思える人たちもいれば、心に消えない傷を追ってしまうような、学びの多い不運な出会いもたくさんしたからね。最も重要なのはフィリップという人。ハイスクールで出会ってからずっと親友で居続けてくれる人で、教室にいるよりも、モントリオールのライブハウスでより多くの時間を過ごしていた僕の良き仲間となった人なんだ。多くの刺激を与えてくれた人だよ。元々、根が熱い人でね。物事を簡単には諦めたりしないし、それを躊躇わず、自分の直感を信じて、ロサンジェルスにあるカレッジに1人で向かうことにしたんだ。彼は今でもロスに住んでいる。けれど、今は家族と一緒にね。

それと、ロジャーにも影響を受けた。彼はアメリカ人の宣教師で、僕に英語を教えてくれた先生だっただけでなく、コンゴのキンシャサで子供達の小学校を作るために、家族みんなで25年間コンゴに住んだ経験のある人で、その話を通して、僕はいつかアフリカに行ってみたいという夢を持つようになったし、”他人”への献身について学んだよ。

それと、モントリオールの街が持つオープンさにも感謝しないといけないと思う。連帯感に基づいた輝かしい多文化、そんな社会によって影響を受けた多様性による豊かさ…音楽、絵画、映画など、その種類は様々だけど、全てコミュニティ価値に基づいて共有されている。

では”学びの多い不運な出会い”とは?

Alex:特に教訓なんてないと思うような出会いでも、ほとんどに学びがあると思うから、そうやって受け取っているんだ。僕らはみんな様々な方向に流れている…嵐のような時間や穏やかな時間をどう活かすかは、僕ら次第。それは、それぞれの人生という旅において、自分がどのステージにいるかを考えさせてくれるよね。

タンジェについて

あなたがタンジェを訪れたのは、その嵐のような時期だったと、いくつかのインタビューで読んだのですが、少し状況を教えてもらえますか?

Alex:僕はオルタナティブロックバンドYour Favorite Enemiesのリーダーだったんだ。アルバムリリースや海外ツアーを始め、他にもたくさんのプロジェクトに関わりながら12年間活動したあと、父が亡くなったことをきっかけに、色々なことがそれまでとは違って見えるようになった。深い気づきを得たというか…それで、バンドの次のアルバムをバルセロナで書く予定だったのをキャンセルして、直感的に2ヶ月間タンジェに行くことにしたんだ。結局、それはトータルで2年間になったんだけどね。

その最初の2ヶ月は、まるで一目惚れみたいな感じだったのが、どんどん発展していって2年間になったという感じでしょうか…特にアルバムの成功によって、あなたのキャリアはのぼり調子だったと思います。

Alex:もちろん、タンジェの街を知っていくのは、素晴らしい経験だったよ。驚きを素直に受け止め、活気溢れる日々に浸りたいと思える人たちを救うような効果がある。人生を新たに始められるような、そんなエッセンスがこの街にはあるんだ。それは様々なバックグラウンドに属した人たちによって受け継がれ、それが街全体を彩っている。自分が何者であるか、自らが与えた制限を忘れられるのさ。それが一目惚れだったかはちょっと怪しいけど、僕にとって個人的な復活になった場所であるのは間違いないね。

あなたは、タンジェでアルバム『Windows in the Sky』を作詞しました。評論家、ファン含め、とても評価の高かった作品です。何について歌った作品ですか?

Alex:タンジェがそうだったように、そこでアルバムの作詞をするというのも、ほぼアクシデント的な感じだったんだ。僕の亡き父を想って書いた詩からできたものであり、いつの間にか失ってしまったアーティスティックな衝動への嘆きであり、疑いと問いかけをしていた時期の反映であり、けれどまた、その全てを手放して解放したいという願いについてでもある。メロディーは詩を書いたずっとあとにつけたよ。最初はリリースする気もなかったからね。僕は商店街の近くに小さなレコーディングスタジオを持っていて、既にフィルムスコアを書き始めていたんだ。そのプロジェクトに没頭したいと思っていたんだけど、これも運命なのか、物事の流れが『Windows in the Sky』へと導いた。

タンジェに2年間住んだあと、あなたはモントリオールへ戻りました。そのあとはヴァージニアへと移住し、ソロキャリアの始まりとなるアルバムをリリースしましたが、そうしたきっかけは何だったのでしょうか?新しい感覚を経験したかったのですか?

Alex:良い質問だね。タンジェでの生活はあらゆる側面において、豊かな経験ができた。その全てがシンプルで穏やかで、それは僕個人の価値とエンタメ界の価値とが生み出す衝突によって、毎日、混乱の渦の中にいた日々とは真逆だったんだ。それでもなお、本来の自分を再び見つけたあと、僕には新しい生活のバランスが必要だった。だから、親愛なる友人であり仲間のJeffからモントリオールに戻ってくるよう説得されて、少し帰ってくることにしたんだ。そうして音楽が徐々に戻ってきて、モントリオールからヴァージニア、そしてタンジェを行き来しながらの生活が自分には合っていると感じた。そのあとはもうシンプルに色々なことが続いていっただけさ。数年たった今でも、そうやって生活していて、今はとても幸せに感じるよ。

La Maison de Tangerについて

では、その中でLa Maison de Tangerはどうでしょうか?常に忙しく世界を飛び回っている国際的アーティストであり、様々なプロジェクトが進行中の2人が、ある朝「ホテリエになろう!」となった背景は?かなりの急展開だったはずですよね?

Alex:急展開とまではいかないけど、型破りだったのは確かだよね。実は、ホテルのオーナーになるという考えは、初めてタンジェに滞在した時から、既になんとなく心にあったんだ。僕はDar Nourというゲストハウスに滞在して、オーナーであるジャン・オリヴィエとフィリップにとても良くしてもらった。僕の心と魂が最も必要としていたときに、温かく歓迎してくれたんだ。それから、お互いの距離が近くなって、とても良い友人となった。彼らに良くしてもらいながら、僕のようにDar Nourに心の拠り所を求めて来る他の旅行者たちを見て、僕が人に感じる価値、”他人”への深い愛情とでも言うのかな、また音楽、アートへの情熱に基づいた場所を提供したいと思うようになった。オープンで、新しいことを見つけられる、分かち合える場所。カラフルなタンジェの文化と、そこに身を浸したい人たちとの架け橋となるような場所を…

決定的な機会は、コロナのパンデミックによって、僕らのツアーが2度も延期され、Jeffの住むカナダが僕の住むアメリカとの国境を閉鎖したときだった。それからお互い、Dar Nourの友人たちと一緒にタンジェで基盤を築きたいと言う思いを話したんだ。そして、Dar Nourの友人たちが、La Maison de Tangerのオーナーたちがホテルの売却を考えていると教えてくれた。もしも、購入者がタンジェという街を輝かせ、その文化を尊重するのであれば、という条件だった。でも、彼らは外国人がモロッコの土地を購入することにおける特別なロジスティックを自ら色々と教えてくれたりもしたんだ。他の友人たちも色々と協力してくれたよ。

僕らは2020年3月のはじめに購入に関する詳細に同意し、7月に正式なオーナーとなった。その全てが、Zoomでのコールを通して行われたんだ。ロックダウンによって、海外への渡航ができなかったからね。だから、僕らをタンジェに呼びたいという友人たちの熱心な努力と意思がなかったら、本当に不可能だったよ。

そして、実際に建物を見ることなく、しかもパンデミックの影響により、国際的なスケールでの旅が全て停止している時期に、ホテルオーナーになったというわけですが…それは、ずばり勇気でしょうか、それとも狂気でしょうか?

Alex:勇気かな…それが愛する人たちや、今後の旅の中で出会う人たちと分かち合いたいという望みを与えたのさ。

今後のLa Maison de Tangerへのプロジェクトなどはありますか?

Alex:コロナによって受けた傷は今や消えつつあるから、まずはLa Maison de Tangerにその気高さを取り戻して欲しい。そして、この場所が持つ本来の魅力を壊すことなく、僕らのタッチを与えたいと思っているよ。

その重要なステップが完了したら、Jeffと僕はずっと待ち焦がれたプロジェクトに着手できる。それは”カクテルバー”の設置。世界の様々な香りを発見することにフォーカスを置いて、ケベックで作られたアルコール、アワード受賞ウイスキーや日本酒など、La Maison de Tangerでしか手に入らないものや、ツアー中に集めた個人的なコレクションを提供したいと思っているんだ。今、諸々の準備の最終段階に入っていて、もうすぐオープンできそうだよ。

そして、ホテルは空室があまりなく、予約が難しいことも多いから、タンジェに2つ目のホテルのオープンを考えているんだ。La Maison de Tangerとはまた違った雰囲気ではあるけれど、完璧に補い合える美しい場所だよ。オープンの詳しい日程はまだお知らせできないんだけど、Jeffと僕が今まさに取り組んでいるんだ。

いえいえ、十分なスクープですよ!あなたを良く知っている人たちにしてみれば、その実業家精神に驚くこともないと思いますし、熱意を持っていることを実現する献身的な姿勢にも感銘を受けると思います。では、アーティストとして今後、期待できることは何でしょうか?

Alex:その質問はまた数ヶ月先に聞いてくれるかな。今はとりあえず、2024年への準備は着々と進んでいるということ…これ以上は言えないな。

タンジェで再びアルバムを作ったり?

Alex:そうかもね?タンジェには何度も向かう予定だし。

最後に、タンジェを訪れようと思っている人たちにお勧めする滞在場所はありますか?もちろん、La Maison de Tanger以外で。

Alex :躊躇うことなく、僕のお勧めはDar Nourだね。そこに宿る精神、雰囲気や美しいタンジェの海岸を眺めることもできるよ…

そこですぐにお会いできますか?

Alex:もちろんさ!

本日は、このインタビューのためにお時間を取っていただき、どうもありがとうございました。ニューヨークの街を楽しんで下さい。また、メゾンでお会いできるのを楽しみにしています。

Alex:タンジェやそこに住む人々への愛を話すのはいつだって喜びさ。